かこさとしさん、創作の原点を想う

絵本作家かこさとしさんがお亡くなりになられてから2か月。
全国各地の書店・図書館には追悼コーナーが設けられ、お住まいだった藤沢市や故郷の越前市では特別展が開かれています。

昔からの愛読者も、初めてかこさんの人となりや作品に触れた方もいらっしゃると思いますが、一人のファンとしての想いを、あらためて2014年に書かれた「未来のだるまちゃんへ」のご紹介を兼ねながら綴ってみたいと思います。

【 敗戦と生きる希望 】
かこさとしさんは、19歳で敗戦を迎えられました。

中学の頃から航空士官になろうと決意し軍人の学校を目指して鍛錬したものの、近視が進んで進路が絶たれたかこさんは、「死に残りの自分が、それでも生きるなら、その先の人生をどうして過ごすのか。」「少しでも償いができるのか。」(「未来のだるまちゃんへ」より)と生きるよすがを必死で探されたそうです。

戦争を煽り戦争に突き進んでいった大人たちが、敗戦後手のひらを返したように軍人を罵倒し、時流に乗るために民主主義を唱える姿を見てかこさんは嫌悪しました。

「大人はもう信用できない。飽き飽きだ。自分もその一員だった。」
「子どもたちのためにお役に立てないだろうか。せめて自分のような後悔をしない人生を送るよう、伝えておきたい。」(「未来のだるまちゃんへ」より)

「子どもたちがちゃんと自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の力で判断し行動する賢さをもってほしい。その手伝いをするのなら、死にはぐれた意味もあるかもしれない。」(「未来のだるまちゃんへ」より)

敗戦でそれまでの価値観を覆され、大人への不信を募らせたかこさんは、昭和20年を機に新たな人生の目的を子どもたちに見出し、子どもたちとの触れ合いを通して今に繋がる道を歩み始めたのだと思います。

【 セツルメント活動から絵本作家へ 】
かこさとしさんの絵本作家としての原点は、1950年代の川崎市幸区古市場でのセツルメント活動にありました。

地域住民の生活向上のためのいわばボランティア活動の中で、自作の紙芝居や幻燈を作って読み聞かせをしたかこさん。その時の経験や気付き、子どもたちの素直な行動が、その後の創作の力に変わっていきました。

自信をもって描いた紙芝居を手に、意気揚々とセツルメントに向かっても、いざ紙芝居を始めるとヤンマやザリガニ取りに行ってしまう子どもたち。忖度なんて一切ない子どもの素直さに試行錯誤の連続だったそうです。

「それでも紙芝居を観てほしいなら、ヤンマやザリガニよりもうんとワクワクするような野生的なのでなければだめだ。」「大切なことは、すべて子どもたちに教わった。」(「未来のだるまちゃんへ」より)

そうして研ぎ澄ますように子どもたちを観察し、そこから学び取っていかれたかこさん。
常に子どもの目線を失わなかったからこそ、60年もの長きにわたって素晴らしい作品を生み出し続けてこられたのだと思います。

【 多様であることの大切さ 】
かこさとしさんの絵本の特徴の一つに、「物尽くし」があります。

見開きのページいっぱいに、いろいろな形のパンを描いた「からすのぱんやさん」。「とこちゃんはどこ」でデパートや遊園地の大勢の人の中で、迷子のとこちゃんを探す場面。
子どもたちが自然に惹きつけられるこんなページにも、かこさんの深い想いが込められています。

いろんなものがある。いろんな人がいる。これが、社会の入り口なんだと。

「この世界は多様であり、自分はそのどこか端っこにいる。」真ん中だけがエライんじゃない。端っこで一生懸命に生きている者もいるんだよ。ってね。」(「未来のだるまちゃんへ」より)

かこさんが、今の日本、今の時代をどう見ていたのでしょうか。

「戦争のときに嫌と思うことがたくさんあり、少しいい方向に行くかなと思ったら、怪しげな雲があるなあ、と。市民の判断力がきちんとしていないと、苦い歴史を繰り返すのではないかと、非常に危うく思っています。」
                   (神奈川新聞 2018年5月7日公開)

何かひとつことが起こると一気にクローズアップされて、メディアまでみな同じ論調になりがちだったり、インタビューやブログで誰かが非難されると、よってたかって攻撃したり・・・。
少々ヒステリックで狭くなりがちな今。

自分の考えをもち、多様性を認め合う気持ちを忘れてはならない。
未来へ続くかこさんからのたくさんのプレゼントを、しっかり受け止めたいと強く感じます。

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